第40話   庄内竿の一考察            平成27年06月03日  

庄内竿をかっちりと堅く曲がらぬ竿にするには、元々素性の良い白竹(何百本の中から選び)を煤棚で乾燥し油分を取り、煤を付けて煤気で赤黒くするが良いとされて来た。その様に書き記したのは土屋涯が、子孫のために書いたと云う釣りの極意書「垂綸極意」の中に書いた言葉である。土屋(18571938年 庄内藩士土屋伊教の長子として生まれる。明治22年から大正2年まで鶴岡・新庄・酒田の裁判所に奉職。酒田の本立銀行、飽海郡耕地整理組合に勤務その後昭和2年から8年まで信成合資会社=酒田の本間家に勤務)は、信成合資会社の時期に当時釣具屋を営む本間祐介氏と出会う。大正14年昭和天皇の摂政の宮時代鶴岡で鳥羽絵風の絵画を御覧に入れたほどの達人であった。下宿に訪ねて来た若く釣り好きの本間祐介氏の求めに応じ庄内の磯釣り風景や逸話等を中心に「鴎涯戯画」に画いた。これは庄内の釣史を知る上で格好の資料、教本となっている貴重な本となっている。
 現在白竹を産する藪は、全くと云っていいほどない。全て斑入りの苦竹である。それでも若干ではあるが、の少ない竹と云う竹がある。そんな竹はすこぶる貴重品となっている。何故なら斑入りの苦竹と比べると明らかに堅い性質を持つ竹であるからなのだ。竹から油分を抜くと云うのはどうかと思うが、竹から水分を抜くと竹が固くなると云うのは分かる気がする。煤棚に上げて洗い、毎年竿に和蝋燭を塗り、矯めて鍛え上げると云う事を繰り返すと煤に含まれる油や和蝋燭の油分で漆のようになる。すると自然に竿に品格が備わり100年以上の実用に耐え得る竿に変化して行く。
 実用100年以上と云うのは日本全国で庄内竿しか存在しない。残念ながら煤棚に乗せて油分を竹に吸わせる事出来ない今日、新竿ではもうそんな竿は出来なくなってしまったと云うのが実情である。白竹は昭和初期でほとんど見当たらなくなったと名人山内善作が述べていた。これも公害の一つではないかと云う説がある。と云うのは、根上吾郎氏の「随想 庄内竿」の中に中央の偉い竹の権威の大先生に手紙で問い合わせたと云う一節がある。白竹に斑が入ると云うのは、ウイルスが原因だと云う返事があったとされている。明治、大正時代までの釣竿がほとんど白竹だったのが、昭和に入った頃から急に逆転している事実からそのような説が出て来た。西洋に追いつけ追い越せで工業化が、急速になされて来た結果、自然環境が毒されて来たとも考えられる。